『夏は老け』

 9月になった。

 世界の色褪せと疎外感がいよいよ増す。ゲームで気を紛らわせるのが今は一番の薬。そうでなくとも食欲と睡眠欲と性欲に支配される日々。

 


 以下、どうでもいいこと。





  ① AはBを聞く(聴く)

  ② AはBに属する


 中世のドイツ語(中高ドイツ語)において、①と②の述語にあたる部分はどちらも"hoeren"という動詞で表していた。格や前置詞で①の意味になるか②の意味になるかは容易に判断できるが、音声および表記としてはどちらも同じであった。



 ①と②のそれぞれの主客の関係をきちんと整理することで何か見えてきたりはしないだろうかというのが目下の思索。臨床哲学の分野ではないところで『聴く』ことを見なおしてみたい。




 胎児が母親の胎内でどんな活動をしているか。
 五感ということでいえば、たとえば耳で周りの音を聴くということではないだろうか。 

 あるいは、
 電気やガス灯のない時代、人々が一日の半分近くを過ごす夜の時間帯、もっとも敏感だった感覚器官といえば、それはやはり聴覚だったのではないだろうか。


 聴くという営みの根源にあるものを探ってみたい。その延長線上に、おそらく音楽はあり得たのだから。