はいまーと

 ハイデガーヒューマニズム書簡』(木田元訳)より

 すべてに先だってまず<ある>のは、存在である。思考は、人間の本質へのこの存在の関わりを仕上げるのである。思考がこの関わりをつくり出したり惹き起こしたりするわけではない。思考はこの関わりを、存在からゆだねられたものとして、存在に捧げるだけのことである。この捧げるということの意味は、思考のうちで存在が言葉となって現れるということにほかならない。言葉こそ存在の住居である。言葉というこの宿りに住みつくのが人間なのである。思索する者たちと詩作する者たちは、この宿りの番人である。彼らがおこなう見張りとは、彼らが語ることによって存在の明るみを言葉にもたらし言葉のうちに保存するというふうにして、その明るみを仕上げることにほかならない。

 実に思わせぶりであります。神秘的と言った方がいいだろうか。
 ただ「言葉こそ存在の住居である」の「住居」とは、HausなのだろうかそれともHeimなのだろうか。